東京大学東洋文化研究所漢籍分類目録の刊行にちなみて

センター通信 No.8 1973.2

倉石武四郎

 わたくしは1928年から30年まで、京都大学からの在学研究員として北京に在駐した。そのとき,たまたま創立された東方文化学院の京都研究所所長狩野先生から,研究所の中核になる漢籍をあつめるようにという手紙をいただき,さっそく徐鴻宝先生に相談して,天津の陶湘氏が蒐集しておいた叢書類を一括購入することにした。その関係で,帰朝後,研究所の漢籍分類目録についても,ある程度の関係をもった。この目録はたびたびの修改をへて,最後に京都大学人文科学研究所漢籍分類目録として,1963年に刊行されている。
 これと同時に発足した東方文化学院東京研究所では,京都研究所と蒐書の方針を異にした。京都では研究所全体としての方針を樹立し,これに即しつつ購書の実をあげた。したがって漢籍の基幹となるべきものは,あくまでこれを網羅した。たとえば清朝の大清会典のごとき,版を異にするものは徹底的にあつめた。金石関係の出版物がほとんど完全にあつまったのもその例である。これに反し東京研究所では,所員各個の研究をおもんじ,これに必要なる資料を蒐集した。ために全般的にみて,やや特殊性に傾いた。しかも,東京は中途にして現代中国諸問題の研究をくわえ,いわゆる新学部に属すべき書籍のおおいこと,京都の比ではない。
 東洋文化研究所は,戦後,東京研究所の旧蔵書の移管をうけ,また独自に蒐集した大木文庫・雙紅堂文庫・下中文庫および仁井田文庫などを所蔵しているが,このたび東洋学文献センターの努力によりこれらを綜合し漢籍分類目録として刊行されるにいたったことは学界のため慶賀にたえない。
 この目録は先行の京都大学人文科学研究所漢籍分類目録を楷範とし,経・史・子・集の四部と叢書部のほか,新学部をたて,いわゆる漢籍の大観をそなえた。
 いまこの二種の分類目録をくらべるとき,それぞれはその特長を発揮するとともに,またその短をおぎなうことができ,まさしく一種のユニオンカタログとして研究者に無上の裨益をあたえるものと信ぜられる。わたくしは,今後さらに国内漢籍のすべてにわたるカタログが調製されることをのぞみ,これこそ東洋学文献センターの主要なる任務たらむことを期待するものである。

(東京大学名誉教授)