倉石武四郎博士講義ノートアーカイブス 

倉石ノートについて

本データベースの主内容は、博士の直筆講義ノート類である。これらは博士が北京から帰国された直後の昭和六年(1931)から二十六年(1951)ごろまでの京都帝大、東京帝大、東大文学部での講義に際し執筆されたものである。 直筆墨書の上、毎回数葉ずつを教室に持参し、講義後に仮綴された。 戦後、これらの講義についてはごく一部を除き著書としてはまとめられておらず、整理公刊が長らく期待されていた。博士ご自身も最晩年、京都帝大での初期の講義ノートを病床の枕頭に置かれ、大切にされていた。

博士の没後、その蔵書は一時期、日中学院に保管されていたが、その後、倉石文庫として東洋文化研究所図書室に収蔵された。 講義ノート類も、同時に東洋文化研究所図書室に収蔵されるべきところであったが、整理活用の便を考えて、別途保管することとなった。

その後は、戸川芳郎(東京大学文学部)が主となり、学生諸氏の協力を得ながら原稿の整理作業を進め、特に重要と考えられた「支那学の発達」については、一定の整理凡例の下に、原稿用紙に翻字整理する作業が一応の完成を見た。2000年からは東洋文化研究所助教授である橋本秀美が原稿を保管し、整理作業にも加わり、更に多くの学生諸氏の協力の下、パソコン入力による翻字作業が続けられた。2004年に橋本が東洋文化研究所を辞職し、整理作業は多く二松学舎大学関係諸氏に協力を仰ぐこととなり、2006年に「本邦における支那學の発達」が補注・解題を附した形で出版されるに至った。これは、倉石博士の生前1972年に、研究所附属東洋学文献センター叢刊の一として「目録学」が出版された後、三十数年を経て、ようやく第二の講義ノートが整理出版されたということである。このように、種種の事情から、整理作業は進展が遅く、原本用紙の劣化も懸念されるため、デジタル画像を作成して、これをデータベースとして公開し、原本は研究所図書室に収蔵することとした。

なお、講義ノートと共に伝えられてきた倉石博士旧蔵の段玉裁・宋翔鳳書簡は、2010年橋本が東洋文化研究所を再び辞職する際に、図書室に収蔵され、現在貴重書庫で管理されており、電子画像が提供されている<リンク>。今回、講義ノートが図書室に収蔵され、倉石文庫に付随する倉石博士の遺品は、保存状態の悪い「旧京書影」写真一セットを除いて、全て東洋文化研究所によって収蔵保管されることとなった。(廣田輝直・橋本秀美

倉石武四郎博士著述目録に基づく固有番号、ページ番号について

倉石武四郎博士の論文・著作については、中国語学研究会の頼惟勤、戸川芳郎、中野実の三氏が中心となり、 講義原稿や録音テープを含めた網羅的な目録が作成されている。この成果は、倉石武四郎著作集 第二巻 『漢字・日本語・中国語』(くろしお出版、1981年)の巻末に掲載されている。 本アーカイブでは講義ノートの固有番号として、基本的にはこの目録番号を用いた。 倉石武四郎博士著述目録においては、05001から05029までの29点のノートが挙げられているが、 05009,05027〜05029を除いたものが現存している。 また、本目録には記載されていない講義ノート7点について、整理の過程で独自にx001からx007までの固有番号が振られた。

上記現存しないとした05028『中国文化の問題』について、x005『中国文化の問題』がそれにあたると思われるが、独自の固有番号が付された経緯が現在の整理関係者には不明なため、念のため別のものとして扱った。また、05027『中国新文学の問題』は、x006『中国新文字の問題』と題名が似ているので、日中学院における図書カード作成時か、著作目録作成時に、題名を誤って記録した可能性も考えられるが、想像の域を出ない。また、05026『中国文学史概説 第五章 宋の民間文芸』については、その第五章以外の部分と考えられるノートが現存しており、05026b,05026cと固有番号を振った。

講義ノートの多くは、原稿用紙に墨書し仮綴したものであり、ページ番号は附されていない。本アーカイブでは便宜的に、ノート中本文の記述が開始する原稿用紙の一葉の、右を1ページ目、左を2ページ目として数えることとした。(河村久仁子)

倉石ノート整理の作業をして

倉石ノートには、竹竿と丘という比喩が引かれている。すなわち、学術には「専門的なことだけやる学問」と「専門がない、あるいは専化しない学問」との二種があり、それらは同じくらい高い水準であっても、広がりがまるで違うという(X005『中国文化の問題』pp.41-42)。そして、倉石氏自身の学問も、まさに丘の如く、高さと広がりとを兼ね備えていた。

本アーカイブの「講義ノート目録」を眺めれば、倉石氏が音韻・語法そして文学を得意としていたことは、すぐに見て取れるだろう。しかしながら、その一方で、倉石氏は他の分野にも幅広く通じ、いずれにおいても高度な学識を有していた。例えば、講義ノート05015『支那学の発達』は、中国学について、目録学・経学・小学・史学・地理学・官制・経済政策・金石学・諸子・仏教・詩詞・曲・小節・音楽・演劇・書画・工芸・天文暦法・医学・薬学・叢書事業にわたって、様々な資料を挙げながら概説する。この他に、中国における中国学に留まらず、日本における中国学の発達についても、詳細な講義を行っている(05018『本邦における支那学の発達』)。

また、音韻・語法への深い関心と、丘の如き幅広い学識に基づいて、中国の精神文化の特徴を分析し、今後の発展について展望するという、非常にスケールの大きな研究も試みている。これについて論じたものとして、講義ノートの中では、X005『中国文化の問題』とX004『中国の文化と社会の諸問題』が挙げられる。

既にいくつか例に引いた通り、倉石ノートは、倉石氏の学術の性質・成果を知る上で欠かせない、貴重な資料である。

また、そうした資料的価値以外に、本来の用途――大学の授業における教材として用いること――においても、依然として高い価値を有しているように思う。とりわけ、05015『支那学の発達』、05019『中国目録学』、05022『中国語学概論』は、およそ中国学を志す上では必須とされる知識を網羅し、それらを様々な資料を用いながら(時には笑い話を交えて)解説している。現在の我々にとって、いくつかの知識には補正が必要であり、また口調が文語的過ぎる嫌いはあるものの、そういった点について教員が適宜補足・工夫しさえすれば、今なお十分に使用に耐える教材であろう。

本アーカイブの作成・公開に至るまでの間、多くの人手と長い時間が費やされて来たと聞く(文字起こし及びその文字と画像との関連付けについては、まだこれからも作業が必要である)。そして、倉石ノートには、それだけの価値がある。その価値を十分に発揮できるよう、多くの方々の閲覧・使用を期待したい。(平澤歩)